おかめやのご紹介 ~ エッセイ・第1章

エッセイ・目次
目  次 『おかめや』の創業から現在まで ~ 2023年9月『おかめや』 3 代目 佐藤 高志 記す

■ 第1章:3代目、誕生からおかめ(女将のこと)との運命的出会い(本ページ)
■ 第2章:東京から帰省、『おかめや』を継ぐ
■ 第3章:女将と二人三脚繁盛記
第1章:3代目、誕生からおかめ(女将のこと)との運命的出会い
Ⅰ ~ Ⅲ Ⅰ 創業から地域の人気店へ

 創業者 佐藤 亀治と妻タキは、最初は店を持たずに魚の行商等をして居りましたが、その後福島市豊田町に店を構え、戦後は大町(現在の4代目店舗近く)に移転致しました。
 私が生まれた昭和27年頃には商いも軌道に乗り、妻タキの出身地福島市丸子(現在の本店の所在地)から学校出たばかりの親戚の子供らが何人も店の二階に住み込みで働いて居りました。4 代目の『大町おかめや』に併設されている「Barカメジ」は初代亀治からとったものです。

『おかめや』という屋号は、亀治のカメとおかめの様にいつも笑顔で真っ当な商いをやっていこうという初代の思い、タキが笑うとおかめそっくりなところからつけられたと聞いて居ります。そういえば歴代の女将は何となく皆おかめ顔ですね。

 繁盛はして居りましたが代々の主はガツガツと金ばかり稼ぐ気等さらさらなく、特に 2代目光(テルオ)は多趣味な人で、山や野鳥や草花、謡曲や三味線、写真、こけしや骨董品の収集等やりたい道楽をやりながら、まあ喰っていければいいという感じの人でした。ですから歴代の女将がしっかりしていたからこそ、続けてこられたのだと思います。

 屋号は「おかみや」の方が良かったかもしれませんね。

 当時の『おかめや』のメニューは、うどんそば・ラーメン・カレーライス・カツ丼等いわゆる町の食堂で、出前の売り上げがかなりの割合をしめて居りました。
 ところが住み込みで働いていた子供達も一人前になり、独立する為に一人二人と店から巣立っていきました。

 人手を必要とする出前に頼っていたのではいずれ経営は行き詰る、と悩んだ2代目は、当時福島では珍しい出前に頼らない蕎麦専門店へと業態変更する事を決断致します。



Ⅱ 蕎麦専門店へ

 当時近くにバスターミナル等もあり大変賑わっていた繁華街大町から、オフィス街で飲食店不毛の地の平和通りのあっち側への移転は、同業者からも町内会の人達からも「やめた方がいいぞ」と再三留められました。

 しかし2代目の決意は変わりなく蕎麦専門店へ移行する為には、材料を吟味してそばの質をあげる事と接客が重要だと考え、何度も東京の名店へと足を運びました。

 昭和46年12月福島市本町上野ビル1階に、ビルオーナーの上野商事直営のカレーショップ「インデラ」、飯坂の旅館のお婿さんがオーナーのハンバーガーショップ「ボンボン」、そして移転して来た蕎麦専門店『おかめや』が同時オープン致します。

 蓋をあけてみれば今まで平和通りを渡って食べにいっていたオフィス街の住人がドット押し寄せ連日押すな押すなの大盛況となります。2代目の読みは見事に当たりました。

 うちではよく賄いで豚肉を醤油と味噌と生姜のタレにつけて焼いて食べていました。
 移転してしばらくした頃、かけそばとご飯とその賄い焼肉と納豆をセットして「そば定食」としてメニューに載せたら、昼は6割のお客様が注文するお化けメニュー「『おかめや』のそばてえ」として大ヒットします。
 ボンボンのマスターが「やられたあーっ」と夢でうなされたそうです。

 当時のそば屋さんにはセットメニューが無かった事と、うちのかけそばの麺と汁・焼肉と納豆が絶妙のバランスだったのですね。
 その焼肉のタレは少しずつ改良を加えて今にいたって居ります。



Ⅲ 3代目おかめとの最初の出会い

 話は前に戻りますが大町の店の厨房には、そば釜とラーメン釜があって薪で炊いて居りご飯も裏のスペースの大きな二つの蒸し釜で、飯炊き専門のおばちゃんがやっていました。
 昼の忙しい時間2代目と若い男衆は出前、厨房と接客は女性軍が担当して居りました。

 厨房にくっ付いて3畳程の帳場があり、亀治ジイちゃんがそこから厨房内を仕切ったりご飯を盛り付けたりしていました。その帳場が、3代目私の一番の私の遊び場だったのです。
 そこで絵本を読んだりおもちゃで遊んだり、ジイちゃんにまとわり付き、肩車したりおんぶしたり、胡麻塩ハゲ頭を舐めたりしていました。

 ホントに舐めていたのですよ、それを見た皆はキャーと絶句しておりましたが、幼い私には汚いなんて感覚はなく子犬が飼い主の顔をペロペロ舐めるように舐めていたのですね。

 ジイちゃんは大仏様みたいな人でニコニコと何をやっても怒られた記憶がありません。
 竹馬が欲しいと言えば竹を切ってきて作ってくれました。
 私が夜寝る時は、幼稚園から配られる絵本キンダーブックを読み聞かせしながら添え寝するのがジイちゃんの毎夜のお勤めでした。

 店から歩いて5分位の所にある聖愛幼稚園に通園していましたが、そこで一緒だった仲間とはその後小学・中学・高校・そして現在まで親しく付き合って居り、その中の一人が後に3代目おかめとなる典子でした。
 ただ、そこに典子がいたというのも後から分かった事であり、ましてや後に自分の伴侶になる事になる等とは・・・・・・。